歌詞考察:歌を読む

素晴らしい歌のよさをもっと知るために 一緒に歌詞を"読み"ませんか? どこよりも深い考察を楽しむブログです。

歌詞からストーリーを"読み解く"楽しみ方をご紹介しています。

カテゴリ: 元気がでる歌

ヨルシカ『又三郎』は宮沢賢治『風の又三郎』を独自の解釈と現代の人々の気持ちを含めて、現代にあった独自のストーリーとメッセージを込めて歌われています。

この歌の本当の意味、メッセージを知るためには『風の又三郎』をしっかり読み込み、さらに歌を読む必要がありました。

このブログでしか、ここまでの深読みを、意味を、メッセージは読むことはできないでしょう。

長くなってしまいましたが、ぜひご覧ください。

この曲、神曲です。
なぜ神曲なのか?それは読めばわかります。
読んだとき、あなたも神曲と思うでしょう。

Let's 深読み!!



✍️目次
・歌リンク
・歌詞
・考察
 ・歌と小説と
 ・特にモチーフもなっているシーン
 ・『風の又三郎』あらすじ
 ・歌とを繋ぐ重要なセンテンス
 ・宮沢賢治『風の又三郎』のメッセージ
 ・ヨルシカ『又三郎』のメッセージ
 ・又三郎の正体


🌀歌リンク



🌀歌詞

水溜りに足を突っ込んで
貴方は大きなあくびをする
酷い嵐を呼んで欲しいんだ
この空も吹き飛ばすほどの


風を待っていたんだ
何もない生活はきっと退屈過ぎるから
風を待っていたんだ
風を待っていたんだ


吹けば青嵐
言葉も飛ばしてしまえ
誰も何も言えぬほど
僕らを呑み込んでゆけ


どっどど どどうど


風を呼ぶって本当なんだね
目を丸くした僕がそう聞いたから
ぶっきらぼうに貴方は言った
「何もかも思いのままだぜ」


風を待っていたんだ
型に合った社会は随分窮屈すぎるから
それじゃもっと酷い雨を
この気分も飛ばす風を


吹けば青嵐
何もかも捨ててしまえ
今に僕らこのままじゃ
誰かも忘れてしまう


青い胡桃も吹き飛ばせ
酸っぱいかりんも吹き飛ばせ
もっと大きく 酷く大きく
この街を壊す風を


吹けよ青嵐
何もかも捨ててしまえ
悲しみも夢も全て飛ばしてゆけ、又三郎
行けば永い道
言葉が貴方の風だ
誰も何も言えぬほど
僕らを呑み込んでゆけ


どっどど どどうど

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/yorushika/matasaburou/


🌀考察

🌬️歌と小説と

ヨルシカ『又三郎』の素晴らしいと思ったところは、『風の又三郎』をベースとしながらも、独自の解釈と想いが込められている点です。

ヨルシカ『又三郎』は、HPも素敵です。



その中で『又三郎』は、
現代社会の閉塞感、不安、憂鬱さなどを打ち壊して欲しいという想いを風の子に託した疾走感あふれるナンバー。


と説明されています。

ヨルシカ『又三郎』は、歌詞を読んでもわかるのですが、この現状を打ち壊してほしい、吹き飛ばしてほしい、というメッセージが強いものです。

一方で、そのモチーフとなっている『風の又三郎』は少しだけ意味合いが違うように思っています。



🌬️特にモチーフとなっているシーン


『風の又三郎』より↓

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹き飛ばせ
すっぱいかりんも吹き飛ばせ
どっどど どどうど どどうど どどう


なんとあの金八先生で有名な武田鉄矢さんが、この部分について『風の又三郎』を考察しています。
「青いくるみ、すっぱいかりん」とは、まだ熟していない実のことであり、子どものことを意味しています。
大人になろうとしない、子どものままでいる、そんな人たちのことを指している、そうです。

そして、吹き飛ばせ、というのを込めると、
「大人になろうとしないものは殺してしまうぞ」
という意味であると

参考にこちらのブログを↓
参考:https://chugaku-juken.tokyo/archives/381



実は、この部分ですが、小説の中にでてくるところで言うと、主人公のひとりである”三郎”(風の又三郎とは別人?)が口ずさむ歌なのです↓
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹き飛ばせ
すっぱいかりんも吹き飛ばせ
どっどど どどうど どどうど どどう




🌬️風の又三郎のあらすじ


引用:Wikipediaより↓

  • 9月1日(木曜):山あいの小さな学校(分教場)に変わった姿の転校生高田三郎が現れた。みんなは伝説の風の精、風の又三郎だと思う。
  • 9月2日(金曜):彼は学校で少し変わった態度を見せ、みんなを緊張させる。
  • 9月4日(日曜):みんなで高原へ遊びに行く。嘉助が牧場の柵を開けてしまう。逃げた馬を追った嘉助は、深い霧の中で迷って昏倒し、三郎がガラスのマントを着て空を飛ぶ姿を見る。
  • 9月5日(月曜):みんなと一緒にヤマブドウ採りに出かけた三郎はタバコ畑の葉をむしってみんなの非難を浴び(専売局に叱られるという理由)、また耕助と風について言い争いをするが、最後には仲直りをする。
  • 9月7日(水曜):みんなは川へ泳ぎに行き、大人の発破漁に遭遇したり、専売局から来たように見えた男から三郎を守ろうとする。
  • 9月8日(木曜):また川で遊ぶ(佐太郎が持参した山椒の粉で毒もみを試みるも失敗)が、夢中の遊びの後に天候が急変して、だれかが三郎をはやしたて、皆がそれに加わる。三郎は血相を変え、ふるえながら追求するが、全員とぼけて答えない。
  • 9月12日(月曜):一郎は三郎から聞いた風の歌の夢を見て飛び起きる。折からの台風に一郎と嘉助は三郎との別れを予感し、早めに登校する。すると案の定、先生から三郎が前日に転校して学校から去ったことを知らされる。




🌬️歌とを繋ぐ重要なセンテンス


上記のあらすじだけでは、どこが歌と響きあっているのか、どこが違うのかがわかりませんよね。

そこで、この考察をするにあたって、読み直し、朗読も聞き込んで、考察してきたはるおが、ここは重要というポイントを5点補足説明していきたいと思います。


センテンス①
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
引用:https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/462_15405.html 
『風の又三郎』本文の中において、田舎のとある村に三郎という男の子が転校してくるところから物語がはじまります。

上記はその三郎についての記述です。
「まるで熟したりんご」という描写は、「青いくるみ、すっぱいかりん」に対して、まるで対局にあるような表現だと思いませんか?

三郎は都会から来た少年です。
たとえば、三郎がクラスメイトに「おはよう」と声をかけても、クラスメイトたちには友達に「おはよう」という挨拶をするのだ、という習慣がないために、戸惑ってしまったりします。

みんなは、三郎が「風の又三郎」という伝説の存在と、「三郎」という名前が同じために、「又三郎」と呼んでからかったりします。

三郎はみんなとも遊んで過ごし、子どもと同じように過ごしますが、ある事件によって様子を変えるのでした。



センテンス②
「うあい、うあいだ、又三郎、うなみだいなかぜなど世界じゅうになくてもいいなあ、うわあい。」
「失敬したよ、だってあんまりきみもぼくへ意地悪をするもんだから。」三郎は少し目をパチパチさせて気の毒そうに言いました。
引用:https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/462_15405.html


三郎は、「風の又三郎」という伝説の存在にかけられてからかわれています。

みんなは「うなみだいな風など世界じゅうになくてもいいなあ、うわあい。」(おまえみたいな風など世界中になくてもいいんだ)

など、わりと酷いことを言われています。

いやいや、三郎と又三郎は別人だから気にしないのでは?とも思うかもしれませんが

この『風の又三郎』の奇妙なところは、三郎が本当は「風の又三郎」なのではないか?という疑念を、子どもたちも、そして読んでいる読者も抱いてしまう、そんな不思議さがあるところなのです。

風などいらない存在だ!
という子どもたちに対して三郎は、至って落ち着いて
「それはなぜだい?それでそれで?」
とその理由を聞いていきます。


センテンス③

「そらごらん、とうとう風車などを言っちゃったろう。風車なら風を悪く思っちゃいないんだよ。もちろん時々こわすこともあるけれども回してやる時のほうがずっと多いんだ。風車ならちっとも風を悪く思っていないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようはあんまりおかしいや。ララ、ララ、ばかり言ったんだろう。おしまいにとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」

引用:https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/462_15405.html

子どもたちが風をいらない理由として、風車について触れたとき、三郎は上記のように言いました。

そうです。
子どもたちがいらないといっている風ですが、風車にとっては大事なものです。

子どもたちは、ただよくわからない風を恐れ、いらないと言っているだけなのだ、それはおかしいことだ、と言っています。


三郎くんは、ひとりだけとても大人ですね。




センテンス④

「おいらもうやめた。こんな鬼っこもうしない。」と言いました。小さな子どもらはみんな砂利じゃりに上がってしまいました。

引用:https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/462_15405.html


子どもたちは、三郎やみんなと鬼ごっこをしていましたが、遊ぶのはもう止めよう、といって止めてしまいます。

これは、三郎をはじめはいじっていたのですが、それがやがてエスカレートしていき、本当に身の危険を感じたからです。

そして、どこからともなく三郎に向かって声をそろえて、子どもたちは歌い始めます。次のセンテンス⑤へ。

これめちゃくちゃ謎なんですよね。



センテンス⑤
 みんなもすぐ声をそろえて叫びました。
「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」
 三郎はまるであわてて、何かに足をひっぱられるようにしてふちからとびあがって、一目散にみんなのところに走って来て、がたがたふるえながら、
「いま叫んだのはおまえらだちかい。」とききました。
「そでない、そでない。」みんないっしょに叫びました。

引用:https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/462_15405.html


子どもたちが叫ぶ「雨はざっこざっこ雨三郎、風はどっこどっこ又三郎。」は、誰ともなく、叫ばれています。

なぜこの言葉なのか?
なぜみんな叫び始めたのか?

不思議なままなのです。
まるではじめから知っていた魔法の言葉のようですね。

そして、この言葉が元になって?

その日の夜の夢の中で
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹き飛ばせ
すっぱいかりんも吹き飛ばせ
どっどど どどうど どどうど どどう


という歌を改めて聴くのでした。

そしてこの次の日、三郎は転校してしまって、みんなとはもう二度と会うことはなかったのでした。




🌬️宮沢賢治『風の又三郎』のメッセージ


『風の又三郎』では、三郎=又三郎なのだ、というのは、不思議と子どもたちの中では確定しています。

一方で、大人には、三郎は都会からきた三郎くんだ、となっています。

子どもにしかわからない、子どものうちにしか出会えないのは、例えば座敷わらしにあるように、妖怪や聖霊の類に見られる特徴でもあります。


田舎の子どもたちは、三郎と一緒に遊んでいきます。
しかしその中で、三郎は命を狙われたり、過激になっていく遊びの中で子どもたちも危なくなったりします。

そんな通過儀礼を過ごした子どもたちは、「遊びはもうやめる」と言い出します。
これが、キーワードになっています。

子どものままではなく、大人になることを決めた子どもたち、

通過儀礼を過ごした子どもたちは、魔法の言葉を叫び、その通過儀礼を終了としたのです。

子どもでなくなってしまったから、もう二度と風の又三郎には出会えなくなったのです。  

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『風の又三郎』では、このような子どもたちの成長、大人になる変化、そしてそれに伴う大きな破壊が描かれていると思います。


一方で、三郎の言葉にもあるように、風とはただ悪いものではありません。
普段から側にあって、そのありがたみには気づいていないものでもあるのです。


さて、このような『風の又三郎』をベースにして、ヨルシカの『又三郎』がどのようなメッセージが描かれているのか、見ていきましょう。




🌬️ヨルシカ『又三郎』のメッセージ


ヨルシカの『又三郎』でも、風とは変化をさせるものとして描かれています。

風を待っていたんだ
何もない生活はきっと退屈過ぎるから
風を待っていたんだ
風を待っていたんだ


「何もない生活はきっと退屈過ぎるから」
となってるのは、変化のない日々のことを指していると考えられます。

一方で、この変化をさせるというのは、成長させる、という意味で使われているのではないことが重要な点です。

どっどど どどうど
風を呼ぶって本当なんだね
目を丸くした僕がそう聞いたから
ぶっきらぼうに貴方は言った
「何もかも思いのままだぜ」
風を待っていたんだ
型に合った社会は随分窮屈すぎるから
それじゃもっと酷い雨を
この気分も飛ばす風を
ヨルシカの『又三郎』では、『風の又三郎』とは逆に、大人が子どもになりたくて風を呼んでいるこれが最も大きな違いです。

「何もかも思いのままだぜ」というセリフは、そのあとの歌詞にある
「型に合った社会」の対比として描かれています。

つまり、『風の又三郎』=子ども、社会=大人という対比がなされています。


子どもにしか見えなかった『風の又三郎』なので、本来は大人になり型に合った社会の一員になってしまった人間には見ることができません。

ゆえに、そんな大人から逆行して子どもになる、という意味になっているのです。




また、他の歌と比較して、同じく子どもの頃を大切にする、や、本来の自分を大切にする、といった歌とは違う点をあげるのであれば、その破壊性と、破壊の必要性にあります。

吹けば青嵐
何もかも捨ててしまえ
今に僕らこのままじゃ
誰かも忘れてしまう

「青嵐」とは、青葉の頃に吹く強い風のことです。 季節としては初夏の頃でしょう。

この言葉の意味するところは青春のこと、若いエネルギー、そして『風の又三郎』でしょう。


若い頃、青春の頃の、自分自身の夢や憧れに向かって進んでいたころ、型にはまっていなかった頃のことを指しています。

「今に僕らこのままじゃ 誰かもわからなくなってしまう」

型にはまってしまうことで、自分を失ってしまうのです。

青い胡桃も吹き飛ばせ
酸っぱいかりんも吹き飛ばせ
もっと大きく 酷く大きく
この街を壊す風を


なので、すべての型(この街)を壊す強い風を望んでいるのです。

「青い胡桃も吹き飛ばせ 酸っぱいかりんも吹き飛ばせ」

これは、先にも書いた
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹き飛ばせ
すっぱいかりんも吹き飛ばせ
どっどど どどうど どどうど どどう


この三郎の歌であり、子どもたちが叫んだ歌でもあるのです。

これは、大人になる、という変化を生む風の又三郎の歌でした。


そういう意味では、このヨルシカ『又三郎』での歌詞の意味は、宮沢賢治『風の又三郎』とはまた違う解釈として使われていると考えられます。


「どっどど どどう」がヨルシカ『又三郎』では、又三郎を呼ぶ歌として描かれています。

であるなら、こちらの歌詞
青い胡桃も吹き飛ばせ
酸っぱいかりんも吹き飛ばせ


大人にならないやつは死んでしまえ、という意味、
そして、又三郎を追いやってしまう意味(子どもを吹き飛ばす)ではなく

青い胡桃、酸っぱいかりん=青くて酸っぱい青春の意味ではないでしょうか

そして、吹き飛ばすという意味は、破壊的エネルギーの大きさ、破壊して、また変化をするしかないという意味を示していると考えます。

青春を取り戻したいとしても、時間が巻き戻ることはできません。

だから、戻ることはできないのです。壊して、また新しく始めるしかないのです。

吹けよ青嵐
何もかも捨ててしまえ
悲しみも夢も全て飛ばしてゆけ、又三郎
行けば永い道
言葉が貴方の風だ
誰も何も言えぬほど
僕らを呑み込んでゆけ


基本的にこのラストにもあるように
「吹き飛ばせ」「壊す」「捨ててしまえ」とあるように
すべて破壊的な言葉が用いられており、そのエネルギーと型を壊したいという欲求が『風の又三郎』にも描かれていた命の危険、風の破壊性がその欲求と響きあっているのです。

ただ変わりたいのではありません。
壊して、新しく、子どもの頃の自分のようなエネルギーを持って前に進みたいのです。


「悲しみも夢も吹き飛ばせ」
あえて補足するのであれば”過去の悲しみ”と”諦めた夢”を吹き飛ばせ、と補足できるのではないでしょうか。

青春の頃から大人になって、悲しみを重ね、夢は諦めてしまった。
でもそれでも、また新しい夢も共に進んでいきたい。
諦めたという型を壊すしか、前に進む方法はない。

ここに破壊の必然性があるのです。

 

「永い道」という書き方がまた良いですよね~。
永いだと、時間の長さ、人生を感じさせます。




🌬️又三郎の正体は?


さて、実は又三郎の正体については、宮沢賢治の『風の又三郎』でも、ヨルシカの『又三郎』でも、確定した正体というのは不明です。

宮沢賢治『風の又三郎』では、又三郎は伝説の風の精霊であり、その又三郎が人に化けた姿が三郎であるかのように描いていました。

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ヨルシカ『又三郎』では、又三郎が風の精霊として描かれているのは同じです。

ここでさらに深読みをすると、、歌詞中には「貴方」という表現で「又三郎」を指しています。
吹けよ青嵐
何もかも捨ててしまえ
悲しみも夢も全て飛ばしてゆけ、又三郎
行けば永い道
言葉が貴方の風だ
誰も何も言えぬほど
僕らを呑み込んでゆけ

「言葉が貴方の風だ」とあります。

これも『風の又三郎』の意味もありつつ、また違っている部分でもあるのです。

風とは、物理的、自然的なものではありません。
青嵐は青春のエネルギーであり、そのエネルギーを吹き荒らすのは、言葉です。

『風の又三郎』でも、なぜ又三郎は三郎という子どもたちと同じ人間の姿となって、子どもたちと過ごしたのか?

人を成長させる、人に変化をさせるのは、やっぱり人だ、ということなのではないでしょうか。


そしてこのことを踏まえた上で、青春のエネルギーを自分自身に与えることができる人物とはだれか?と考えます。

これは私の考えなのですが、それこそ、青春の頃の昔の自分ではないでしょうか??

又三郎とは、貴方といいつつ、同時に自分でもあるのです。

だからこそ、言葉が風であり、言葉で変化するのです。
ラスト「僕らを呑み込んでゆけ」というのも、僕だけではなく、貴方もまた僕と一緒にいるものである、というのが、
本来は去ってしまうはずの「風の又三郎」ではなく、貴方は去らずにずっと僕と共にあるのだ、という意味だと思います。




正体といえば
MVで描かれている又三郎と思われる登場人物は
兜をかぶってマントをしてカメラで写真をとっています。
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マントは、宮沢賢治『風の又三郎』でガラスのマント着て空を飛ぶのを指してもいます。

兜は子どもっぽさを示しているのではないでしょうか。

では、カメラは?

カメラは昔の姿をその姿で留めるものです。

ゆえに、青春のころの自分自身が写っている写真がキーワードではないかもと考えられるのです。


(ちなみに、登場キャラクターが鹿なのはヨルシカにかかっていていいですね。笑)




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昨日のあなたが今日のあなたを救う。終わらない旅を美しく描いた名作です。

朝ドラ主題歌にBUMP OF CHICKENがきたー!
すごい!!
しかも、BUMP OF CHICKENらしさがびんびんの爽やかで元気のでる歌です!

朝からこれを聴いて1日が始まるなんて最高!
そして気が早いですが紅白でも聴けるなんて本当に最高です!

このブログでは、考察を通して歌の世界にどっぷり潜り込み、さらなる素晴らしさを発見していきます。

それではlet's 深読み!


✍️目次
・歌リンク
・歌詞
・考察

 ・歌のメッセージ
 ・歌のストーリー
 ・なないろの意味
 ・虹の意味
・あとがき


🌈歌リンク

🌈歌詞

闇雲にでも信じたよ きちんと前に進んでいるって
よく晴れた朝には時々 一人ぼっちにされちゃうから


ヤジロベエみたいな正しさだ
今この景色の全てが 笑ってくれるわけじゃないけど
それでもいい これは僕の旅


昨夜の雨の事なんか 覚えていないようなお日様を
昨夜出来た水たまりが 映して キラキラ キラキラ
息をしている


高く遠く広すぎる空の下 おはよう 僕は昨日からやってきたよ
失くせない記憶は傘のように 鞄の中で出番を待つ


手探りで今日を歩く今日の僕が あの日見た虹を探すこの道を
疑ってしまう時は 教えるよ
あの時の心の色


胸の奥 君がいる場所 ここでしか会えない瞳
ずっと変わらないままだから ほっとしたり たまに目を逸らしたり


思い出すと寂しいけど 思い出せないと寂しい事
忘れない事しか出来ない 夜を越えて 続く僕の旅


治らない古い傷は 無かったかのように隠す お日様が
昼間の星と同じだね 本当は キラキラ キラキラ
この街中に


歯磨きして顔洗って着替えたら いつもと同じ足で出かけようぜ
相変わらずの猫背でもいいよ 僕が僕を笑えるから


涙の砂 散らばる銀河の中 疲れた靴でどこまでだっていける
躓いて転んだ時は 教えるよ
起き方を知っている事


乾いて消える水たまりが それでも キラキラ キラキラ
青く揺れる


高く遠く広すぎる空の下 おはよう 僕は昨日からやってきたよ
失くせない記憶も傘のように 鞄の中で明日へ向かう


手探りで今日を歩く今日の僕が あの日見た虹を探す今日の僕を
疑ってしまう時は 教えるよ あの時の心の色


いつか また会うよ 戻れないあの日の 七色



Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/bump-of-chicken/nanairo/





🌈考察



☀️歌のメッセージ


※この歌のメッセージは、次の歌のストーリー以降の考察を経て書かれています。
なぜこのメッセージになっているのか、ぜひ以降も読んでみてください。

正しさもわからない、前に進んでいるのかもわからない、不安が付きまとう日々の中ですが

あなたはちゃんと前に進んでいます

それを昨日のあなたが教えてくれます

辛かったときの記憶、悲しい記憶、何でもない記憶

過ごしてきた日々と、そのときのあなた自身がずっと繋がって、今のあなたになっています

過去のあなたが成長してきたように、今のあなたも成長して、未来のあなたへと続いていくでしょう

迷ったとき、苦しいとき、あなたの最大の味方は、あなた自身であることを忘れないでください





☀️歌のストーリー



『なないろ』のストーリーは、BUMP OF CHICKENらしい成長と旅の物語になっています。

ヤジロベエみたいな正しさだ
今この景色の全てが 笑ってくれるわけじゃないけど
それでもいい これは僕の旅

ヤジロベエみたいな正しさとは、確かに正しいのだけれども、どこか不安定で不安になってしまうような印象を抱かせる、弱々しい正しさです。


MVでも、はじめは元気のない主人公から始まり、歌を通して元気づけられ、勇気づけられ、最後には笑顔で、外を眺めています。

冒頭↓
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最後↓
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僕の旅は、僕から僕へのバトンを繋ぐことで続いていきます
 
高く遠く広すぎる空の下 おはよう 僕は昨日からやってきたよ
失くせない記憶は傘のように 鞄の中で出番を待つ

昨日からやってきた僕、昨日の僕と今日の僕という同じ僕でありながらも違う自分がこのストーリーの主人公です。

手探りで今日を歩く今日の僕が あの日見た虹を探すこの道を
疑ってしまう時は 教えるよ
あの時の心の色


昨日の僕はなくせない記憶を持った大切な僕です。

今日の僕が手探りで、歩き続けている道を疑ってしまったとき、この昨日の僕がもつ記憶「あのときの心の色」が僕を支えます。

これは「傘」という表現でもされています。
辛いときに支えるとなるものです

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思い出すと寂しいけど 思い出せないと寂しい事
忘れない事しか出来ない 夜を越えて 続く僕の旅


昨日の僕、過去の僕は、寂しい思いをしたり辛い思いをしたり、そんな夜を越えて旅は続きます。

歯磨きして顔洗って着替えたら いつもと同じ足で出かけようぜ
相変わらずの猫背でもいいよ 僕が僕を笑えるから

「相変わらず猫背でもいいよ」という歌詞が優しいですよね。

旅を続ける中で、変わっていくものがある一方で、不安やコンプレックス、弱い自分が弱いままなこともあるのです。

決して強くなるだけが旅ではありません。

涙の砂 散らばる銀河の中 疲れた靴でどこまでだっていける
躓いて転んだ時は 教えるよ
起き方を知っている事

この歌は過去の僕が今の僕を支えています。
だからこそ、困ったときの起き方を教えるのではなく、「起き方を知っている事」を教えるのです。

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答えはすべて僕は知っている、僕の中にあるのです。

手探りで今日を歩く今日の僕が あの日見た虹を探す今日の僕を
疑ってしまう時は 教えるよ あの時の心の色

最後、この歌のストーリーは旅の終わりを迎えることもありません。

何かを見つけることもありません。

変わらずにずっと寄り添っている自分に気づかせてくれて、そして旅は続いていくのです。


MVでも、最初はバラバラであった自分、途中で自分自身に興味を失っているような描写もあります。

しかし、手を伸ばしあって、最後にはひとつに抱き合い、そして元気づけられています。

このシーンの美しさは本当にすごいですよね!!

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ストーリーをわかったあとに、冒頭の歌詞を読み直してみてください。

闇雲にでも信じたよ きちんと前に進んでいるって
よく晴れた朝には時々 一人ぼっちにされちゃうから

冒頭の「晴れた朝には時々 一人ぼっちにされちゃうから」というフレーズが、より深く読めるのではないでしょうか。

雨のときには、傘の存在に気づくことがてきます。


辛いときには、過去の自分を振り返ることもあれは、支えている、支えられていることに気づくこともできます。

一方でそうでないときは、ちゃんと前に進んでいるにも関わらず、気づいたら今に必死になりすぎていて孤独になっている、そんな上手くいっているはずなのに大事なことを忘れてしまっている、そんな逆転現象が描かれているのです。

ここから、忘れてしまっていることはなんだろう?

という問題提起になり、歌のストーリーが進んでいたのですね。




☀️なないろの意味とは?


『なないろ』という言葉ですが、とても素敵なタイトルですよね!

歌の中にも登場しますが、まず『なないろ』には虹の意味がありますよね。

この歌は虹がテーマのひとつになっています。

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手探りで今日を歩く今日の僕が あの日見た虹を探す今日の僕を
疑ってしまう時は 教えるよ あの時の心の色


虹の七色と、『なないろ』の七色が関連していることは言わずもがなですが、歌全体としても、雨や虹がテーマとなっています。


また、歌詞の中の「心の色」にあるように、色というのも重要なキーワードになっています。

いつか また会うよ 戻れないあの日の 七色


上記は歌詞の最後のフレーズです。
戻れない「あの日の七色」「あの時の心の色」とあるように、この色は、今というよりも過去との関わりが強そうです。


景色という言葉がありますが、これも色ですよね。
気色という言葉もあります。
この言葉は、景色と同じ意味もありつつ、気分や機嫌といった気持ちの意味でも使われます。

色とは、その時の様子や状態を表す言葉として使われています。

この『なないろ』においては、過去のそのときの記憶とシーン、そしてその時の自分の気持ちや状態、この両方の意味で「あの日の七色」「あの時の心の色」と言われているのではないかと思います。



そしてもうひとつ、『なないろ』という言葉の意味には、一週間の意味、一週間の自分、という意味もあるのではないでしょうか?

MVでは青緑色の服を来た自分と、黄色の服を来た自分とが登場します。

そして、落ちていく青緑色の自分に黄色の自分が近づいていこうとして、そして次第に二人ともが手を伸ばしあいます。 

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虹の七色は、外側から
赤→橙→黄→緑→水→青→紫

このようなグラデーションになっています。

緑色の自分と、黄色の自分なので、グラデーションとして隣り合っていますよね。

歌詞にもあるように、昨日と今日、水曜日の私と木曜日の私、というように、それぞれの曜日に対して色が割り当てられるのではないかとも思うのです。

MVで、抱き合ったふたり(自分自身×2)が、落ちていくのですが、夕焼けの中落ちていくようで、まるで日没前だと思いませんか?

これはきっと、また明日が続いていく、明日の自分へと繋がっていくという意味だと考えています。


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バスでの移動中(通勤?通学?)という割と日常的なワンシーンが舞台となっていることも考えるて、繰り返される日常という意味もあるのでしょう。



☀️虹の意味とは?


雨は、往々にして涙の意味で用いられることが多いものです。

つまり、辛い傷、辛い過去を表していると考えられます。


BUMP OF CHICKENの特徴として、涙、辛い過去を、悪いものとしては描かないという特徴があります。

昨夜の雨の事なんか 覚えていないようなお日様を
昨夜出来た水たまりが 映して キラキラ キラキラ


辛い過去があったからこその今がある、明るいものがある、そしてその明るさ、希望の象徴が「虹」になっています。

手探りで今日を歩く今日の僕が あの日見た虹を探す今日の僕を


雨→晴れ→虹という天気の変化が、かつて何度もあったように
辛いこと→明るいこと、その度に変化した自分がいます。

昨日までの自分とは異なる、成長した自分になるのです。
自分の色が変わるともいえるでしょう。

あの日見た虹を探す、とは、希望であり、成長を探すという意味になるのです。

レベルアップの象徴とも言えるのではないでしょうか。

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そして、その数々の成長(いろんな色の自分)がいるからこそ、しっかりと前に進めている、変わり続けられているということが、今の自分を支えているのです。




また、涙も必ず乾く、晴れる、明るくなる、そんなメッセージを水たまりが表現しています。

乾いて消える水たまりが それでも キラキラ キラキラ
青く揺れる


✍️あとがき

「涙のふるさと」をはじめ、BUMP OF CHICKENには、涙をテーマ、キーアイテムとした歌が数多くあります。

BUMP OF CHICKENの歌は、いつでも旅を続けています。

あの日聴いた旅の歌は、今も変わらずにそこにあるけれど、聴いている自分はどうなのでしょうか。

変われているのか、変われていないのか、

そんな不安になったときこそ、この『なないろ』がよいのです。

連続する色は、確かに変わっているけれど、どの色も今につながっています。

さぁ、今日も旅を続けていきましょう。

今のあなたらしい色で。




それでは、次の歌でも会いましょう!
Let's 深読み!!





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2021年4月からの歌ってみたの流行曲はこちらです!
『うっせぇわ』を作詞作曲されたsyudouさんが、ついにオリジナル生声での曲を発表されました!

syudouさんの名前とも通じるお酒の歌『へべれけジャンキー』は、これから流行するなと思わせてくれる内容です!

その特徴はこちら↓↓↓↓↓
🍾流行しそうな理由5選
①一度聴いたら忘れられないキャッチーさ
②口ずさんでしまう歌いやすさ
③MV絵が呪術廻戦っぽい
④幅広い人にささる歌詞内容
⑤お酒パワー

『うっせぇわ』は社会への反発的な側面が強かったために、その内容へのバッシングもすごくありましたね。

今回の歌も本質的には社会への反発、逃避、なのですが、叩かれることは少ないのでは?
むしろ「わかる~」「懐かしい~」という声さえ寄せられそうです。

その違いとはなにか?

さっそく見ていきましょう!
Let's 深読み!


✍️目次

・歌リンク
・歌詞
・考察
 ・へべれけジャンキーの意味
 ・歌のストーリー
 ・あるあるかファンタジーか
 ・より幅広い人気が出るかそれとも‥
 ・意味とメッセージ
 ・血の酒火の酒苦い酒


🍻歌リンク

🍻歌詞

アイマジャンキーさ酒飲み

満員電車は悲しみばかりが
募り重なり今日も唸っている
疲れと性 溜まっている
不意にぶつかる肩と肩
忙しい日々の無駄な論争が
虚しい程鈍く響いていた

誰だ誰だ悪いのは誰だ?
見つかり次第晒し上げだ
誰のせいか分からずみな
酒のせいにしたがるクソ野郎

アイマジャンキーさ酒飲み
浮世 忍耐 がぶ飲み
分かり合えない奴との諍論が
今日も杯を進めて止まない
アイマジャンキーさ酒飲み
分かり合えなくても
酔いに託けて忘れたらいいんだった
飲めば飲むほどに飲み込まれそうなんだ
はぁ。。。

朧げ記憶 頭の中には
千鳥足乗り込んだタクシーと
グラス音が残っている
打って変わって六畳間
孤独 ストレスは部屋のチリや
着信履歴より積もっていた

アイマジャンキーさ酒飲み
馬鹿は精進あるのみ
飲めばどんどん喉が乾く様に
心まで潤しちゃくれない
アイマジャンキーさ酒飲み
恥晒しになっても
兎に角其の場を凌げたらいいんだった
必死に生きてる最悪な今日なんだ
はぁ?

oh damn drinkin’ so not sippin’
血の酒 火の酒 苦い酒を
more drinkin’ ヤバい雰囲気
呂律反比例 回ってんな
oh パニック パニック マジマジパニック
知らぬ駅気づきゃ座ってんだ
もう失くしたい記憶の全てを
酒のせいにしちゃえば?クソ野郎

アイマジャンキーさ酒飲み
飲み腐ったら抱くのみ
その度数にも満たぬ薄い愛で
僕の胸を満たして下さい
アイマジャンキーさ酒飲み
忘れられないのさ
頭に染みつく「構わずにもう一杯」
振り払うように飲み進めようったって
嗚呼 逃れやしないんだった
はぁ。。。


Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/syudou/hebereke-junkie/





🍻考察

🥃へべれけジャンキーの意味

まずはタイトルでもある『へべれけジャンキー』の言葉の意味から確認していきます。
「へべれけ」とは、辞書的な意味で言うと↓
酒にひどく酔って正体のないさま

こんな意味になっています。
よく言う「お酒は飲んでも呑まれるな」で言うところのお酒に呑まれた状態、電車や道で変な格好で寝ちゃったりしている人の状態を想像してください。


お酒が好き、お酒を飲み過ぎる、という意味よりは、自分で自分がわからなくなる、とんでもない失態をする、このようなお酒によって変わってしまう人のことを指す言葉になっています。

「ジャンキー」は、辞書的には”麻薬中毒者のこと”を差します。
しかし一般的には、何かに病みつきになっている、依存している人のことのを「??ジャンキー」と言っています。

この歌の場合、単なるお酒好きの場合は「アルコールジャンキー」という表現でもいいかもしれませんが、「へべれけジャンキー」の場合は、”正体をなくすほどにお酒を飲む”ことに病みつきになっているのでしょう。


🥃歌のストーリー

『へべれけジャンキー』のストーリー背景は、都会で働くストレス社会になっています。

満員電車で通勤、肩と肩がぶつかって揉めることもあり、誰のせいだと紛糾すれば、酒のせいだということにしてしまいます。

わかりあえないやつの愚痴が盛り上がれば酒が進みます。
わかりあおうとすることはなく酒に溺れて忘れることにして根本的な解決はしません。

酒に飲んだ次の日、千鳥足で乗り込んだタクシーと、飲んだことは覚えているけれど何を話したか食べたかなど何も覚えていません。
ただただ六畳間の自室には孤独感が漂っています。

酒を飲んでも呑んでも心までは潤うことはなく、恥を晒してでもその場しのぎばかりでした。
必死に生きていても最悪な日々が続きます。

呂律がまわらなくなるほど、記憶がなくなるほどに飲んで失くしたい記憶も全部酒のせいとしていきます。

飲んだ後は抱く、しかしそこには愛もないのでただただ虚しく、満たされることはありません。

そしてまた記憶をなくすために忘れるために酒を飲んでいくのでした。
逃げられるわけではないのに。

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🥃あるあるかファンタジーか

都会で働く人、さらに一定年齢以上の人の場合、割とこの歌詞に書いてあるのはストレートでわかりやすく、あるあるだなーという内容かもしれません。

そういう私、はるおの昔の上司が、まさにこの歌の通りの人でした。笑

とにかく飲みニケーションが好きで、記憶がなくなるまで飲み、記憶が飛んでる間は、愚痴や説教に絡み、道端やお店で寝ちゃう‥みたいな感じでしたね~。

次の日にはぜんぜん覚えていないので、人に教えられてはもうお酒飲まないと言いだし、結局また飲むという繰り返しでした。

こんな人が周りにいたことのある人や、終電まで飲んでたことのある人からすれば、駅で寝てる人や、この歌の主人公の気持ちがよくわかるでしょう。
とても”あるある”な内容です。
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ところが、このコロナ禍や、近年のアルハラ抑制の社会情勢の変更により、このようなぐでんぐでんになって道端に落ちているサラリーマンは大幅に減ったように思います。
特にコロナ禍では夜の飲みもほぼなくなりましたから、この1年にいたっては、今やこんなへべれけになる人がいるということはファンタジーの世界の出来事なわけです。

よって、若い世代の人からしたら、完全ファンタジー世界のようなストーリーで、一方経験のある人からしたら180度変わってよくあった、あるある、なストーリーになっています。



🥃より幅広く人気が出るかそれとも‥

『うっせぇわ』と比較すると、年齢高めない人にも共感が得られるような内容になっています。

キャッチーなメロディーもあいまって、癖になる、それこそジャンキーになるような歌です。

一方で、肝心のsyudouさんのファン層はきっと若いんだろうなーと思うと、実は若い層からの共感が得られない恐れもあり‥
もしかしたら思ったよりも伸びないという可能性もありますね。

歌ってみたでどれくらい歌われるか?
広まり方にもよって、再生回数にも影響がありそうです。



🥃意味とメッセージ

『へべれけジャンキー』の歌の意味は、単純に酒のんでへべれけになって辛い、というようなものではありません。
アイマジャンキーさ酒飲み

このキャッチーな歌詞が実は伏線になっています。
I'm a Junky.
私は何者なのか?
ここにこの歌の核があります。

嫌なことがあったとき→酒のせいにする
分かり合えないとき→酒のせいにする
寂しいとき→酒のせいにする

酒を飲むことが主人公にとっての逃避行動であり、責任転嫁になっています。

誰のせいだ?→酒のせい→自分ではない自分のせいだ

このように、本当は自分のせいなんだ、とわかっているにも関わらず、酒に呑まれて本当に自分ではない自分のせいなのだ、と自己防衛をしているのです。

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まさに負のループですね。

嫌なことがある→酒を飲む→失態を犯す→失態を忘れるために酒を飲む→寂しくなる→寂しさを忘れるために酒を飲む→また失態

主人公はこれが負のループであり、止めなければいけないことである、ということはわかっています。
ところが‥
アイマジャンキーさ酒飲み
忘れられないのさ
頭に染みつく「構わずにもう一杯」
振り払うように飲み進めようったって
嗚呼 逃れやしないんだった

そして最後の「はぁ。。。。」
この溜め息にすべてが込められていますね。


さて、この歌の意味ですが、まず
「お酒はほどほどに。」というメッセージがあることは間違いないでしょう。笑

それに加えて、逃避することの無意味さということも伝えてくれていると思います。
実はお酒ではありませんが、
「後からやればいいや~」など逃避行動は誰しもあるものです。

しかし、そんな逃避行動ではなにも解決しない、そして逃避行動を続けるうちに、逃避行動自体に依存してしまって抜け出せなくなってしまう、そんな警鐘を鳴らしてくれています。

そして「アイマジャンキー」
本当は自分自身が誰であるか?
ジャンキーであるわけがないのです。

逃避行動に依存すれば、みんなジャンキー、自分自身を見失ってしまうのです。

そんなことにならないように、みんなも我が身振り返ってみましょう!!



🥃血の酒火の酒苦い酒


こちらはちょっとしたプチ考察です!
この「血の酒火の酒苦い酒」という言い方、かっこいいですよね。笑

血の酒はおそらくワインのこと
※キリストが「これは私の血である」といって弟子に与えたエピソード

火の酒はおそらく焼酎のこと
※火酒(かしゅ)という言い方があり、その中には焼酎、ウォッカ、ウイスキー、ブランデーなどがあるが、焼くという表記での関連もあるのではないか

苦い酒とはビールのこと
※呑み会の言えばビールでしょ!ビールと言えば苦いでしょ!

小ネタ考察でした。笑





✍️あとがき


YouTubeのコメント欄でMVのオレンジ色の目について触れていらっしゃる方もいました。

しかし、オレンジ色の目が何を意味しているのか、私の方ではうまく説明できなかったため、今回はMVについての解説はなしとしました。

お酒、皆さんお好きですか??
いやーこの歌は本当に見覚えというか、周囲覚えなんですが、映像が脳内再生されて私にとってはとてもあるあるなストーリーでした。

一次会で最終電車の時刻になり、そこからが本番!
という感じでしたからね、嘘のような本当の話。
よっぽど今はそんな会社少ないと思いますが、それでもそういったお付き合いが大切になることがあることもまた確かなのです。

ただ、社会勉強的に経験するのはいいのですが、決してそれを続けていくことが良いこととは思えないですね‥。

もっと言えば、お付き合いのためであったり、逃避のためだったり、自己防衛のためだったり、目的のためのへべれけを私はあまり否定しません。

そんなこともあるでしょう。
大変ですよね。
素直にそう思います。

ただし、負のループに入って前に進めなくなってしまっては、それはもう目的なきへべれけです。

目的をもってお酒とお付き合いしていきましょうね!

ま!私は寝るためにお酒を飲んで、気持ち悪くなって眠れなくなったことがありますから!
目的通りにいかないこともまたよくあることなのです!



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One twoから始まるテンポがよくて最高なボカロ曲!『グッバイ宣言』
コロナ禍にもバズり続ける名作です。
バズり続ける理由、それはキャッチーな歌詞、リズム、メロディー、そしてMVの踊り!
でも案外知られていないのはこの歌のメッセージ。
引き籠もりはなぜジャスティスなの?
なににグッバイなの?
実はすごーく深いメッセージがありますよ!
let's 深読み!

✍️目次

・歌リンク
・歌詞
・考察
 ・都会は怖い!
 ・引き籠もり絶対ジャスティス!
 ・折と檻
 ・君は誰?
 ・グッバイ宣言の意味
・あとがき

🙌歌リンク


🙌歌詞


作詞:Chinozo 作曲:Chinozo
唄:flower
One two
エマージェンシー 0時 奴らは
クレイジー・インザ・タウン 家に篭って
ゴロゴロ ゴロゴロと 
堕落の夜に 絡みついた

ルルル 放つ言葉は ルルル 腐っていた
正論も常識も 意味を持たない都会にサヨウナラ!

引き籠り 絶対 ジャスティス 俺の私だけの 折の中で
聴き殺してランデブー 俺の私の音が 君に染まるまで
引き籠り 絶対 ジャスティス 俺の私だけの 折の中で
聴き殺してランデブー 俺の私の音を 君が包むだけ
wowow 時がきた今
wowow エゴ放つのさ
wowow 家に籠って 狂い咲く

エマージェンシー 0時 流石に
クレイジーな計画はお陀仏
グルグル グルグルと
世界は変わらず廻っていた
ルルル 君の視線が ルルル ぼやけて尽きる
マリオネットな感情に 気付いてしまった

相も変わらずJamる街 
止まぬNervousに 拐われないで

引き籠り 絶対 ジャスティス 俺の私だけの 折の中で
聴き殺してランデブー 俺の私の音が 君に染まるまで
引き籠り 絶対 ジャスティス 俺の私だけの 折の中で
聴き殺してランデブー 俺の私の音を 君が包むだけ
wowow 時がきた今
wowow エゴ放て
恥を捨てられる 家に狂い咲け

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/chinozo/goodbye-sengen/



🙌考察

🌃都会は怖い!


この歌の舞台設定は、都会(外)と家(中)の対立的な構成になっています。
都会(外)は主人公にとって怖い存在です。

その理由はまずクレイジーな奴らがいるから↓
エマージェンシー 0時 奴らは
クレイジー・インザ・タウン


さらに、クレイジーな奴らが集まるクレイジーな都会だからか?正論も常識も意味を持たないからです↓
正論も常識も 意味を持たない都会

一方で家(中)はまさに主人公の領域であり、主人公の城とでも言える舞台です。

👍️引き籠もり絶対ジャスティス!


主人公がどれだけ家を愛しているかがわかる、最高にキャッチーな歌詞がこちらですね!
引き籠り 絶対 ジャスティス 俺の私だけの 折の中で
聴き殺してランデブー 俺の私の音が 君に染まるまで
引き籠り 絶対 ジャスティス 俺の私だけの 折の中で
聴き殺してランデブー 俺の私の音を 君が包むだけ

クレイジーでおかしな都会と比べて、引き籠もりは絶対に正義であると高らかに歌っています。

引き籠もりがなぜ絶対にジャスティスなのか?

それはここからの考察と、最後のグッバイ宣言の意味にて!

👍️折と檻

上記のサビにおいて「俺の私だけの折の中で」という歌詞も印象的ですね。

「折」の名詞での意味は
①折ること。折ったもの。
②折り箱(料理や菓子を詰めるもの)
③過ぎゆく時の中の、区切られたある時点。機会。
④季節、時節。
とあります。

歌詞の流れから言うと、③の意味??と思うのですが、あまりしっくりとはきません。
実は、「折」の同音異義語である「檻」の方が歌詞としては意味が通ります。
置き換えて歌詞を並べてみますと

⇨檻の中で 聴き殺してランデブー 俺の私の音が 君に染まるまで

⇨檻の中で 聴き殺してランデブー 俺の私の音を 君が包むだけ

歌の中で描かれている「家」が、脳内で檻のように変換されます。
家は主人公にとって絶対的な領域でありながら、どこか檻のように閉じこめているようなものになっています。

そうなると「聴き殺してランデブー」という歌詞が途端に怖い響きになってきませんか?

ランデブーの意味はフランス語におけるデートの意味です。デートの意味で、時間や場所を決めて出会うことの意味もあります。

「聴き殺す」という言葉の解釈が難しいですね。
これは創られた言葉であり、意味をとることが非常に難しくあります。
似た言葉には「聴き倒す」という言葉があります。
何回も何回も聴くという意味ですね。
この連想で考えると、殺すまで何回も何回も聴く、死ぬまで聴くのをやめない、という意味を想像します。

檻に閉じこめて、死ぬまで聴くのをやめないっ‥
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本当に殺すまで、ではありませんが歌詞的にも期限が指定されています。

それはこちらです。
「俺の私の音が 君に染まるまで」
「俺の私の音を 君が包むだけ」


👍️君は誰?

ここの歌詞も非常に面白いですよね。
何がおもしろいかといいますと、

俺、私、は一人称なので、同一人物ではないか?と考えられます。
つまり、俺、私、がこの歌における主人公ですね。
家に引き籠もっている張本人でもあります。

君というのは二人称になります。
なので、俺、私、とは別の人物ではないか?と考えられます。
すると、家という舞台から考えると、俺私の家に招かれた客人的な立ち位置が君になります。

「俺の私の音が 君に染まるまで」
「俺の私の音を 君が包むまで」

家に招き入れられた君ですが、普通こういった構図だったのであれば、”君が染まるまで”、”君を包むまで”になると思いませんか?
俺の私の音が詰まっている家の中に招き入れられた”君”ですが、君が僕私の影響を受けるのではなく、君が僕私に影響を与えるという構図になっているのです。

だから、家というのは僕私の城でありながら、
君にとってのステージにもなっているのです。

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君とは、「俺の私だけの折の中」で、俺私に影響を与えつつ、家をステージとして変えられる存在です。
俺=私=君なのではないでしょうか。
君は、都会、世界に影響を受けてしまった、外向けの自分です。
なので、この『グッバイ宣言』は、俺=私による、君(俺私)に向けた歌だと考えられます。



👍️グッバイ宣言の意味

さて、ここまで考察してきたとおり、まず「グッバイ」の意味のひとつは”都会にグッバイ”です。
正論も常識も 意味を持たない都会にサヨウナラ!
おかしな都会、おかしな奴らとはグッバイ!
相も変わらずJamる街 
止まぬNervousに 拐われないで

憂鬱にとらわれないで、そんな街や奴ら、憂鬱にグッバイ!

もうひとつの意味は、操られているような”不自由にグッバイ”です。
グルグル グルグルと
世界は変わらず廻っていた
ルルル 君の視線が ルルル ぼやけて尽きる
マリオネットな感情に 気付いてしまった

実は、「君」はすでに都会、世界の影響を受けており、マリオネットな感情にとらわれ、視線がぼやけていてしまったのです。
そんな操られている状態からは、グッバイ!!

最後のひとつは、”没個性からのグッバイ”!!!
wowow 時がきた今
wowow エゴ放つのさ
wowow 家に籠って 狂い咲く
エゴとは、自己、個性です。
君にとって、家とはステージ、君オンステージ!
君のすべてを出し切れ!


まとめ
没個性で憂鬱な都会、世界にグッバイ宣言。
家という自分の世界へと。
没個性と制限からグッバイ宣言。
家に籠もって個性爆発。
自分を取り戻せ!



✍️あとがき

コロナ禍でこの歌が大流行!という記事が多くありますね。

ステイホームという社会現象と、この歌の「引き籠もり絶対ジャスティス」という歌詞が響きあったのでしょう。
MVの踊りも非常にキャッチーですから、踊ってみたでも大人気な曲です。
Tik Tokでもバズっていますね。

あまり歌詞という面からこの現象にふれている人はいませんが、自分on家、自分onステージと考えると、家でこそ輝く、家で個性を出していくという現象は、まさにこの歌にぴったりな現象ですね!
引き籠もり絶対ジャスティス!!


ところでこの歌を聴きながら、家で狂い咲くといえば何かなと考えたときに、懐かしのものを思い出しました。
それは「びっくりするほどユートピア!」
「びっくりするほどユートピア」とは、セルフ除霊するおまじない(笑)のことです。



引用元
https://sanblo.com/meisaku_utropia/


これをすればどんなに恐い霊も離れていくというものです。

いや、そりゃびっくりして離れていきますよ。笑


さぁ、こんな時代だからこそ、皆も個性を出していきましょう!
引き籠もり絶対ジャスティス!びっくりするほどユートピア!
それではまた次の歌で!let's 深読み!



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この歌は生き方と真摯に向き合った歌です。
私が抱く世界と自分のギャップ。
変わる自分。
ギラギラという言葉に込められた想いを紐解きます。

私ははじめて聴いたときに『うっせぇわ』に似ているなと思いました。
しかし、紐解いていけば似ているようで全く違うメッセージが込められていたのです。

今回は超ボリューム!
気になる方は目次をみてスキップして読んでくださいね!
それでは、let's 深読み!

✍️目次

・歌リンク
・歌詞
・考察
 ・世界への非難
 ・私には私の生きたい生き方がある
 ・自分に自信が持てない自分
 ・私の生き方
 ・周囲を呑み込むギラギラ
 ・マガイモノとはなんだろう
 ・ギラギラは私を変えていく
 ・ギラギラメラメラの燃料は孤独
 ・運命論
 ・本当はギラギラしたくないのかも
 ・ありのまんまじゃいられない
 ・世界はなぜおかしいのか?
 ・ギラギラの意味
・ギラギラとうっせぇわ
・ギラギラと怪物
・あとがき



🌟歌リンク

🌟歌詞

作詞:てにをは

作曲:てにをは

あーもう本当になんて素晴らしき世界
んで今日もまた己の醜悪さに惑う
だのに人を好きって思う気持ちだけは
一丁前にあるから悶えてるんでしょう

Ugly 正直言って私の顔は
そう神様が左手で描いたみたい
必然 この世にあるラブソングはどれひとつ
絶対 私向けなんかじゃないでしょう

使い道のないくちづけ 憐みを恣(ほしいまま)に
スパンコールの瘡蓋(かさぶた)で身を守る
愛されないくらいなんだ

ギラギラ輝いて私は夜を呑み
Rap Tap Tap Tap
今に見てろこのluv(ラヴ)
目に染みるは1mgの花火
Drag on Drag on
なんてファニー この世はビザール

ギラ ギラギラ ギラ

Unknown お釈迦様も存ぜぬうちに
もう健やかに狂っていたみたい
それは世界の方かそれとも私の方ですか?
共生は端からムリでしょう

マガイモノこそかなしけれ 無我夢中疾る疾る
強い酸性雨が洗い流す前に
蛍光色の痣抱いて

メラメラ火を噴いて私は夜の狼
Rap Tap Tap Tap
そこで見てろこの乱舞
強くおなり あなたなりの武装(メイクアップ)で
Flap up Flap up
不意に不安に

孤独は燃料(ガソリン) 卑屈な町を行く
目を閉じて もういいかい もういいかい
もしも神様が左利きならどんなに幸せか知れない

ギラギラ輝いて私は夜を呑み
Rap Tap Tap Tap
今に見てろこのluv(ラヴ)
目に染みるは1mgの花火
Drag on Drag on
なんてファニー この世はビザール

ギラ ギラギラ ギラ ギラギラ
Give Love 花は満ちて(ギラギラ)
ありのまんまじゃいられない 誰も彼も
なんて素晴らしき世界だ!
ギラついてこう

引用元
https://j-lyric.net/artist/a061fbb/l053cae.html



🌟考察

✴️世界への非難


『うっせぇわ』でも社会、そして世界への反抗的な内容がありましたが、この歌においてもまた引き続きそのテーマが歌われています。
歌詞中にある「素晴らしき世界」という表現は、世界に対して揶揄する言葉となっています。
というかこの素晴らしい世界、という書き方をした場合に揶揄以外のそのままの意味になっているものって‥あんまりない‥
あーもう本当になんて素晴らしき世界
んで今日もまた己の醜悪さに惑う
素晴らしき世界といいつつも、あーもう本当に、という投げやりな表現がついています。
揶揄する気持ちたっぷりで、世界に対して不満が溢れています。
さらには、そんな世界に生きている己、その己の醜悪さにも嫌気がさしていることが伺えます。
「惑う」といっているということは、えっ、なんで?なんでこんなに醜いの?というニュアンスがあるように思います。



✴️私には私の生きたい生き方がある

なぜ私がこんなに醜いものであると感じるのか?
それはありたい私、本当は望んでいる自分の姿と比較してしまうからです。
私の本当の望みは、
人を愛し、愛されることです。
だのに人を好きって思う気持ちだけは
一丁前にあるから悶えてるんでしょう

「人を好きって思う気持ち」これによって悶えているのは
え、こんなに醜悪なのに人を好きになってもいいの?
という気持ちからです。

人を好きになりたいし、人を好きになってしまうけれど、こんな自分が好きになってもいいの??



✴️自分に自信が持てない自分


自分は容姿にも自信がありません。
Ugly=醜い、見苦しい、という意味です。
Ugly 正直言って私の顔は
そう神様が左手で描いたみたい
必然 この世にあるラブソングはどれひとつ
絶対 私向けなんかじゃないでしょう

「そう神様が左手で描いたみたい」
これは偏見の入っている歌詞になっています。
神様という全知全能の存在が創ったのであればugly(醜い)はずがない。そうだ、神様の左手(利き手ではない)で創られたから、醜くなってしまったのだ、という内容になっています。

少し複雑なのですが、ここまでの私は世界を批判し神様を批判し、その世界と神様を通して自分を皮肉るという構造をしています。

✴️私の生き方


本当は人に愛し愛されたい、そんな思いを持っている私は、私なりの生き方を模索し、自分で自分を創り出すという行動に移ります。
使い道のないくちづけ 憐みを恣(ほしいまま)に
スパンコールの瘡蓋(かさぶた)で身を守る
愛されないくらいなんだ
愛されないという自分への偏見はあるけれども、それがなんだ、うじうじしない、逆にスパンコールでギラギラさせて
自分のマイナスポイントをスパンコールで上塗りすることでプラスポイントに変えてやる
そんな意気込みを感じます。


✴️周囲を呑み込むギラギラ

愛されないくらいなんだ、からの
「今にみてろこのluv(ラブ)」
ギラギラ輝いて私は夜を呑み
Rap Tap Tap Tap
今に見てろこのluv(ラヴ)
目に染みるは1mgの花火
Drag on Drag on
なんてファニー この世はビザール
Drag on=ダラダラと時間がかかる
ファニー=可笑しい
ビザール=おもしろおかしい
luv(ラブ)はLoveの意味ですが、若者言葉、ネットスラングのような言葉だそうです。
「夜」という言葉は、自身を取り巻く周囲の状況、暗い、そして自分も暗くなってしまえば夜にのまれて存在がわからなくなってしまうようなイメージをさせます。

周囲を呑み込むほどにギラギラ輝いて
自分の愛を貫いていく

「目に染みるは1mgの花火」
花火は一瞬だけ輝くものです。
目に染みるという表現もあって、これは1mgの涙と私は考えます。
花火のように一瞬だけきらっと光る涙。
ギラギラ輝いている私ですが、実は少し泣いているという弱さを出しています。
この弱さがこの歌において非常に重要なものになっています。


✴️マガイモノとはなんだろう

私は自分の愛、自分の弱さを押し殺しギラギラと光るスパンコールを身にまとっていました。
しかし…
マガイモノこそかなしけれ 無我夢中疾る疾る
強い酸性雨が洗い流す前に
蛍光色の痣抱いて
強い酸性雨は、街に降る雨のイメージもありますが、先ほどの涙から連想して、強い、たくさんの涙、号泣と考えることができます。
マガイモノはスパンコールによるギラギラで覆っている自分自身のことでしょう。
「蛍光色の痣」というものは、実はスパンコールが変化した形です。
夜になると光り出す蛍光色は、ギラギラ光るスパンコールと同じ役割になっています。
むしろ、スパンコールがどんどん身体に染み着いていって「蛍光色の痣」になってしまった、そんなイメージが沸いてきます。
スパンコールや蛍光色の痣は、あとからつくりだしたマガイモノのものです。

自分の本当の弱さが溢れ出して、涙がたくさんこぼれてしまったら、自分でつくったギラギラなスパンコールはマガイモノだから、剥がれ落ちて弱い自分が剥き出しになってしまいます、、、
マガイモノはなんてかなしいんでしょうか、、、

「~こそ~けれ」古語的な表現が面白いですね。
感嘆の意味で用いられていると思われます。



✴️ギラギラは私を変えていく

さて、ギラギラなスパンコールが蛍光色の痣になったと書きました。
そうです、最初は瘡蓋に貼り付けたギラギラ、それが痣となり、ついには体内へと届きます。
メラメラ火を噴いて私は夜の狼
Rap Tap Tap Tap
そこで見てろこの乱舞
強くおなり あなたなりの武装(メイクアップ)で
Flap up Flap up
不意に不安に
私は「夜の狼」となってメラメラ火を噴いています。
夜の狼は、まるで狼人間や、満月に向かって吠える狼を想像させます。
これもまた、ギラギラ、スパンコール、蛍光色の痣と同じく、夜という共通点、そして、変化という共通点があります。
違うのは、スパンコールの瘡蓋(外側に張り付いているもの)、蛍光色の痣(肌の中のもの)、狼(肌そのもの、形も変化するもの)、このように変化が内側まで浸透していることに気がつきます。

この変化はすべて「あなたなりの武装(メイクアップ)」です。


✴️ギラギラメラメラの燃料は孤独

孤独であればあるほど、この火は燃え上がり、そしてこの武装もより一層光るのでしょう。
孤独は燃料(ガソリン) 卑屈な町を行く
目を閉じて もういいかい もういいかい
もしも神様が左利きならどんなに幸せか知れない
「目を閉じて もういいかい もういいかい」
この歌詞はかくれんぼのかけ声になっています。
「まあだだよ」という声か、「もういいよ」という声でしょうか。
かくれんぼの鬼役に自分がなっています。
鬼役は、誰かを探す役割ですね。
孤独であればあるほど、誰かを探す気持ちが燃え上がることに繋がります。


✴️運命論


「もしも神様が左利きならどんなに幸せか知れない」
この歌詞は先にでてきた「そう神様が左手で描いたみたい」と引き合っています。
そして、私の願いである”愛したい”、”愛されたい”という願いと重要な関わりがあります。

左手で描かれた私は、神様が上手く描けなかったからこの私になってしまったんだと思っていました。
だから、私には”愛したい”という気持ちがあるものの、誰からも”愛されない”というアンバランスな状態になってしまったと考えていました。
しかし、もし神様が左利きなら、この私を意図的に描いたことになり、”愛したい”という気持ちに釣り合う”愛してくれる”存在がいるはずである、という運命の相手が存在していることになります。

✴️本当はギラギラしたくないのかも


一方で、もし神様が左利きであったのであれば、実はギラギラする前の自分は、それでよかったんだ、ということにも繋がります。
ゆえに、ギラギラする必要がない、ありのままの私であればよかった、とも考えられます。
ありのままの私で、”愛したい”、”愛してくれる”人と出会うことができるはずとなるからです。


✴️ありのまんまじゃいられない

ありのままでいられたら、そんなことを願いながらも「ありのまんまじゃいられない」だから「ギラついていこう」
ギラ ギラギラ ギラ ギラギラ
Give Love 花は満ちて(ギラギラ)
ありのまんまじゃいられない 誰も彼も
なんて素晴らしき世界だ!
ギラついてこう
この歌詞で『ギラギラ』は締めくくられます。
この世界の中で生きにくさを感じている人達すべてのお尻を叩くようなラストです。
誰も彼もありのままじゃ生きられないんだから、ギラギラしていくしかないじゃないか!!


✴️世界はなぜおかしいのか?


それは、ありのまんまじゃいられないから、です。
私の本当の願いはありのままでいて、自分の好きになる気持ちもそのままに、そしてそんな私を好きになってくれる人と出会うことです。
しかし、それができない。
そんな世界はおかしいのです。
おかしい世界の中だからこそ、ありのままの私では共生していくことはできず、ギラギラの武装をするしか生きていけないのでした。

 

✴️ギラギラの意味

ギラギラを示す言葉の変遷をここまでも触れてきましたが、あらためてまとめます。

「スパンコールの瘡蓋」

「蛍光色の痣」
↓↓
「夜の狼」

このように、瘡蓋(肌の上)にあったものが、痣(肌の中)に入り、ついには、私自身を狼へと変貌させています。

ギラギラの意味は、歌詞にあるとおりの「あなたなりの武装(メイクアップ)」であって、さらには武装を超えて新しい私自身を作り出しています。
”ギラギラ”とは私によって作られる新しい私であり、私の生き方なのです。

私が思う『ギラギラ』の歌で特に大事なメッセージ、それは、ありのままの自分もギラギラな自分も決して否定しないことです。
私は、生きにくい世界の中で、ありのままには生きていけないとなったために、ギラギラな自分を生み出しました。
一方で、本音ではありのままの自分で生きたいとも考えています。

生きていくためにはギラギラになるしかなかった、でもそんな私も否定しない。
弱くて生きていけない私、でもありのままの私も否定しない。
どちらの私も大切にした上で生きていく、これが『ギラギラ』の大切なメッセージだと思います。



🌟ギラギラとうっせぇわ

さて、私のブログを読んでくださっている読者様の中には、同じくAdoさんの『うっせぇわ』の記事を読んでくださっている方もいらっしゃるでしょう。
『うっせぇわ』と『ギラギラ』の作詞家様は別の人なのですが、実は、この2曲のメッセージやストーリーはかなり似通っています。

ありのままでいたいけれど、いられない自分がどう生きていくのか?
『うっせぇわ』では自らを天才、他とは違うというレッテルを貼る行為によって、自分を変化させました。
『ギラギラ』では自らに武装をすることによって、自分を変化させました。
一方で、決定的に違うところも存在します。
『うっせぇわ』ではありのままの自分を、社会に反抗することでドンドンと外にだしていくという構造でした。
『ギラギラ』ではありのままの自分は内側のまま、新しい世界と向き合うための自分を外側に作り出し、それもまた自分とするという構造でした。

似通っているようで違うこの2曲を、しっかりと理解して味わいたいですね。



☀️ギラギラと怪物

この歌の舞台であり、重要なテーマにもなっている「素晴らしき世界」この歌詞を最近どこかでも聴きませんでしたか?
そうです、YOASOBI『怪物』にも全く同じ「素晴らしき世界」という歌詞があります。 この2曲は、実は同じテーマ性でもあるからです。

「素晴らしき世界」という、自らがおかしい、何か変だ、生きにくい、と感じる世界の中で、どうやって生きていくのか?
という点です。

『怪物』は、本能という自分の中にもある世界を映し出したものと、本当に自分が守りたいもの、という2つの間で揺れ動き、自己をどのように確立していくのか、という作品でした。

『ギラギラ』は、ある意味では世界の影響を受けて変化させた新しい自分と、本来のありのままの自分と、どちらが本当の自分なのかという、2つの自分と向き合っていく作品でした。

自分の中にいる2つの自分と向き合っていくという作品の主旨が、それぞれのアプローチで描かれており、それぞれにとても素晴らしい内容となっています。



✍️あとがき

コロナ禍の影響だから、などと簡単なことはいいたくありません。
しかし、最近流行している歌には、自分の生き方と向き合う内容、自分自身と向き合う内容が多く見られます。
そのどれもに共通しているのは、大切なものを守るため、そして生きていくためです。
時代性を反映しているなどと大仰なことは言いたくありませんが、気づかないうちに同じものを求めている人が多いのかもしれません。

私は私なりに、あなたはあなたなりに、今日も生きていきましょう。

ギラギラとね!!!
さぁがんばろう!!

それではまた次の歌で!let's 深読み!





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