この歌天才だー!『ベテルギウス』だからこその唯一性があります。星座ってさ、知らないとあるってわからないよね?人と人の友情や愛情、出会いや運命、これも同じなの。
一時期、もうない説があったベテルギウスが描くオリオン座。星の光、星座というロマンチックで曖昧で不思議なものに、人と人、友情や愛情を喩えたのがこの優里さんの『ベテルギウス』です。
まじで神曲。
ちなみに考察最後にも触れるのですが友情の歌なのか恋愛の歌なのかについては、正直どっちでもイケると思っております。
星にまつわる数々の名曲があり、個人的に単純に使ってしまうとありきたりに感じてしまうところです。
そこでベテルギウスが唯一もつ、曖昧性と永遠性に着目し、これほど美しい歌にされた優里さんは本当に天才だなと思いました。
それでは歌の世界へ!let's 深読み!
✍️目次
・歌リンク
・歌詞
・考察
・ベテルギウスの意味
・星座と人の縁
・メッセージ:ベテルギウスの魔法
・MV読み解き紹介
・友情の歌or恋愛の歌
タイトルの『ベテルギウス』ですが、ご存知の方も多いのではないでしょうか?
ベテルギウスとは、星の名前です。
はい!Wikipediaさんどうぞ!↓
ベテルギウスは皆さんご存知のオリオン座の肩の星、とても綺麗な星ですよね。
さてさて、ではこのベテルギウスがなぜこの歌のタイトルになっているのか?
というところなのですが、それにはもう少し情報を足しましょう。
聴いたこともあるのではないでしょうか?
「ベテルギウス もうない」
ベテルギウスはその一生を99.9%終えておりいつ超新星爆発が起きてもおかしくない、などの話もありました。
たびたび「もうないのでは?」という話題になってきた星なのです。
ちなみに本当にもうないのか?というところについてなのですが、
東大ら研究機構から研究結果としてまだ10万年は先なのではないか、という研究結果が2021年現在でています。
優里さんの『ベテルギウス』では、この
”もうない”
”いやある”
”いつかなくなってしまうかもしれない”
このあたりの要素がうまくモチーフとして取り入れられていると考えられます。
星の特徴をうまく人に喩えています。
星も忘れる、と擬人化していますね。
ぶつかりあって、というのも星だけではなく、人と人とのぶつかりあいを想像させます。
見えない線、これは星座のことを指していますね。
星と星とが「寄り添う」これも歌詞中にありますが星座をモチーフにした言葉と考えられます。
星はひとつだけで星、だけど繋がりあうことによって星座を描くことができます。
この星座のことですが、「魔法」「祈り」といった言葉でも表現されています。
星座というのは知らないとわからないですよね?
星と星とが隣り合うこと、そしてそれが星座を描くことを知ってはじめて見えるものです。
君が星だっておしえてくれた、
突っ込んで申し訳ないですが「星」ということは、おしえられなくても多くの人がわかるんじゃないかな~と思いませんか?
(衛星とかのほうがわからないと思う)
ここでいう星は特別な意味を暗喩していると考えてよいでしょう。
考えられるのは、まず星座です。
星座は人と人の繋がりをさしています。
また、ベテルギウスだからこそなのですが
見えないし、もうないと思っても本当は永遠にあるもの、として
友情や愛情
ベテルギウスはもうすぐ終わる、いやもうない!などと騒がれた星です。
しかし、本当はある!
この曖昧さ、不確実さ、でもあるという事実
ここにこの歌の一番すごいところがあると思っています。
はるお的に、この星はいろんな意味があると思っています。
この星についてはぜひ皆さんも考えてみてください。
サビのラストフレーズなので特に意味のある歌詞と考えて良いでしょう。
こちらは同じ歌詞が3回登場します。
「誰かに繋ぐ魔法」このフレーズは、先ほどの星座、人の縁のことを指していると考えられます。
言ってしまえば運命的な出会い
面白い点は、「僕ら」だけでいいのであれば、「誰か」ではなく「僕ら」でよいはずだったのでは?と思えるところです。
「僕らを繋ぐ魔法」でもふたりの歌、ふたりのストーリーは変わりません。
ただ、ここは「誰かに繋ぐ魔法」とされています。
これは普遍性を感じさせますし、僕らというふたりの間だけではなく、すべての人に共通してこの魔法があるんだ!と感じさせてくれます。
大きな空に輝くベテルギウス
遥か遠くにあって終わることのない光は
これから長い年月に渡って多くの人が見ることができるでしょう
ベテルギウスの魔法(運命的な出会い)は誰にでも起こりうるものである
これが『ベテルギウス』のメッセージなのではないでしょうか?
ぜひ観てほしい。
ネタバレにはなりますが、簡単に読み解き紹介させていただければと思います。
MVは冒頭の3人の出会いシーン(台詞付き)から始まります。
台詞があるのは冒頭のみですが、ドラマ仕立てのストーリーは見ているだけで台詞が聞こえてくるような胸熱くなるものになっています!
シーン① 3人の出会い
登場人物は3人います。
主人公朝倉亮(男)と友人の都築由紀(女性)とフジシロ(男)です。
※漢字のわからないところをカタカナにしています。
3人とも大学生です。
亮はフジシロ商事の跡取り息子であるフジシロを見て「最初からなんでも持っている人間はいいよな」とぼそっとつぶやいています。
シーン② 友情の芽生え
亮はレストランでアルバイトをしていますが、失敗してしまい凹みながら帰っていました。
その帰り道、流れ星の見える丘には泣きながら座り込んでいるフジシロの姿が。
最初からなんでも持っているかのように見えたフジシロですが、実は自分と同じように欲しいもの(夢)に向かって頑張っているがうまくいっていない同じ人間なのだと知ります。
※伏線:ここで星を見ているふたりの様子を都築が写真におさめています。
シーン③ 友情の育み
亮は小説家を目指しており、フジシロは声優を目指しています。
亮が書いている小説のタイトルが『ベテルギウス』ふたりは度々あってはお互いを励ましあったり、『ベテルギウス』を読んだり演じたりして友情を育んでいきます。
夢を語り合っているふたりの様子にはわくわくしますね。
きっと、一緒に作品をつくろう!おまえの小説がアニメ化したら俺が声優やるよ!
とか話していたんでしょうね~
シーン④ 衝突
声優を目指していた は、親の反対によって夢を諦めざる負えなくなってしまいました。
しかし亮にはそれが許せませんでした。
なぜ諦めてしまうのか、ふたりはぶつかり合い、喧嘩を機に疎遠になってしまいます。
シーン⑤ それぞれの未来
フジシロはなんと学校を辞めて父親の会社に就職することにしました。
就職し出社するフジシロの元へ亮からのLINEが届きます。
そこには「仕事がんばって。いつか一緒に作品を完成させよう。」というエールがありました。
そのLINEを見たフジシロは、ひさしぶりにふたりの思い出の場所である星の見える丘へ。
ふたりの友情が再開したのでした。
その前を見ると実は「この前は感情的になってごめん」など喧嘩シーンの後、ふたりの関係性を感じさせるLINEがあったりと造りが細かい!(歓喜)
シーン⑥ 写真展(エンド)
回想シーンの最後、写真展の映像になります。
その写真展に出展されているのは、亮とフジシロが並んで星の見える丘に座っている様子でした。
タイトルは「ベテルギウス」(都筑由紀)
実はサブキャラのように見える都筑由紀ですが、写真家を目指していてストーリー的に重要な役割も持っています。
そしてこれは超深読みなんですけどね!!
都筑由紀→つづきゆき
これ、つづきゆく→つづきゆく→続いていく みたいに思えませんか?
友情がこれからも続いていくよ!物語は続いていくよ!
という暗示のように思えます。
笑
怒られそうなのですが本当にどちらとも読み取れるというのがはるおの正直な見方です。
MVは友情として描かれていましたが、歌詞的には恋愛の歌と思ってもなんらおかしくありません。
(いやMVがBLだった説はなくはないですがそれならあまりに描写少ない‥ですよね?詳しい人気づいていたらコメントでこそっと「ここBLっぽい」と教えてください)
歌詞という観点から読むと、友情という意味では若干、、本当にちょっっとなのですが、違和感のあるところもあるのです。
それがこちらのフレーズです。
いかにも結婚式っぽい
この歌詞は正直に言うと「病めるときも健やかなるときも」感が強いなと思わなくもないです。
手取り合い進む、辛いときも 二人で誓う 祈り
どうしても恋愛っぽい。
友情で手取り合うか??
(はるおは男なのですがどんなに仲のいい男友達であったとしても手を繋いで歩くなど考えられません)
助け合いの比喩だから!!と言えばそうなんですけどね。笑
ゲス考察するとしたら、実はこの『ベテルギウス』は恋愛としてつくられたのだが、MVは後から友情をテーマに再構成したのではないか?とも考えられます。真実はわかりません。
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一時期、もうない説があったベテルギウスが描くオリオン座。星の光、星座というロマンチックで曖昧で不思議なものに、人と人、友情や愛情を喩えたのがこの優里さんの『ベテルギウス』です。
まじで神曲。
ちなみに考察最後にも触れるのですが友情の歌なのか恋愛の歌なのかについては、正直どっちでもイケると思っております。
星にまつわる数々の名曲があり、個人的に単純に使ってしまうとありきたりに感じてしまうところです。
そこでベテルギウスが唯一もつ、曖昧性と永遠性に着目し、これほど美しい歌にされた優里さんは本当に天才だなと思いました。
それでは歌の世界へ!let's 深読み!
✍️目次
・歌リンク
・歌詞
・考察
・ベテルギウスの意味
・星座と人の縁
・メッセージ:ベテルギウスの魔法
・MV読み解き紹介
・友情の歌or恋愛の歌
🌃歌リンク
🌃歌詞
空にある何かを見つめてたら それは星だって君がおしえてくれた まるでそれは僕らみたいに 寄り添ってる それを泣いたり笑ったり繋いでいく 何十回 何百回 ぶつかりあって 何十年 何百年 昔の光が 星自身も忘れたころに 僕らに届いてる 僕ら見つけあって 手繰りあって 同じ空 輝くのだって 二人だって 約束した 遥か遠く終わらないべテルギウス 誰かに繋ぐ魔法 僕ら 肩並べ 手取り合って 進んでく 辛い時だって 泣かないって 誓っただろう 遥か遠く終わらないべテルギウス 君にも見えるだろう 祈りが 記憶を辿るたび 蘇るよ 君がいつだってそこに居てくれること まるでそれは星の光と 同じように 今日に泣いたり笑ったり繋いでいく 何十回 何百回 ぶつかりあって 何十年 何百年 昔の光が 僕自身も忘れたころに 僕らを照らしてる 僕ら見つけあって 手繰りあって 同じ空 輝くのだって 二人だって 約束した 遥か遠く終わらないべテルギウス 誰かに繋ぐ魔法 どこまで いつまで 生きられるか 君が不安になるたびに強がるんだ 大丈夫 僕が横にいるよ 見えない線を繋ごう 僕ら見つけあって 手繰りあって 同じ空 輝くのだって 二人だって 約束した 遥か遠く終わらないべテルギウス 誰かに繋ぐ魔法 僕ら 肩並べ 手取り合って 進んでく 辛い時だって 二人だって 誓っただろう 遥か遠く終わらないべテルギウス 君にも見えるだろう 祈りが 空にある何かを見つめてたら それは星だって君がおしえてくれた
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/yuuri/betelgeuse/
🌃考察
🌟ベテルギウスの意味
まずは恒例の言葉の意味から確認していきましょう!タイトルの『ベテルギウス』ですが、ご存知の方も多いのではないでしょうか?
ベテルギウスとは、星の名前です。
はい!Wikipediaさんどうぞ!↓
ベテルギウスは皆さんご存知のオリオン座の肩の星、とても綺麗な星ですよね。
さてさて、ではこのベテルギウスがなぜこの歌のタイトルになっているのか?
というところなのですが、それにはもう少し情報を足しましょう。
聴いたこともあるのではないでしょうか?
「ベテルギウス もうない」
ベテルギウスはその一生を99.9%終えておりいつ超新星爆発が起きてもおかしくない、などの話もありました。
たびたび「もうないのでは?」という話題になってきた星なのです。
ちなみに本当にもうないのか?というところについてなのですが、
東大ら研究機構から研究結果としてまだ10万年は先なのではないか、という研究結果が2021年現在でています。
優里さんの『ベテルギウス』では、この
”もうない”
”いやある”
”いつかなくなってしまうかもしれない”
このあたりの要素がうまくモチーフとして取り入れられていると考えられます。
🌟星座と人の縁
『ベテルギウス』の歌のテーマは人と人です。星の特徴をうまく人に喩えています。
何十回 何百回 ぶつかりあって
何十年 何百年 昔の光が
星自身も忘れたころに
僕らに届いてる
星も忘れる、と擬人化していますね。
ぶつかりあって、というのも星だけではなく、人と人とのぶつかりあいを想像させます。
どこまで いつまで 生きられるか
君が不安になるたびに強がるんだ
大丈夫 僕が横にいるよ
見えない線を繋ごう
見えない線、これは星座のことを指していますね。
星と星とが「寄り添う」これも歌詞中にありますが星座をモチーフにした言葉と考えられます。
星はひとつだけで星、だけど繋がりあうことによって星座を描くことができます。
この星座のことですが、「魔法」「祈り」といった言葉でも表現されています。
星座というのは知らないとわからないですよね?
星と星とが隣り合うこと、そしてそれが星座を描くことを知ってはじめて見えるものです。
空にある何かを見つめてたら
それは星だって君がおしえてくれた
君が星だっておしえてくれた、
突っ込んで申し訳ないですが「星」ということは、おしえられなくても多くの人がわかるんじゃないかな~と思いませんか?
(衛星とかのほうがわからないと思う)
ここでいう星は特別な意味を暗喩していると考えてよいでしょう。
考えられるのは、まず星座です。
星座は人と人の繋がりをさしています。
また、ベテルギウスだからこそなのですが
見えないし、もうないと思っても本当は永遠にあるもの、として
友情や愛情
ベテルギウスはもうすぐ終わる、いやもうない!などと騒がれた星です。
しかし、本当はある!
この曖昧さ、不確実さ、でもあるという事実
ここにこの歌の一番すごいところがあると思っています。
はるお的に、この星はいろんな意味があると思っています。
この星についてはぜひ皆さんも考えてみてください。
🌟メッセージ:ベテルギウスの魔法
『ベテルギウス』では特徴的なキーワードとして魔法が登場します。サビのラストフレーズなので特に意味のある歌詞と考えて良いでしょう。
こちらは同じ歌詞が3回登場します。
僕ら見つけあって 手繰りあって 同じ空
輝くのだって 二人だって 約束した
遥か遠く終わらないべテルギウス
誰かに繋ぐ魔法
「誰かに繋ぐ魔法」このフレーズは、先ほどの星座、人の縁のことを指していると考えられます。
言ってしまえば運命的な出会い
面白い点は、「僕ら」だけでいいのであれば、「誰か」ではなく「僕ら」でよいはずだったのでは?と思えるところです。
「僕らを繋ぐ魔法」でもふたりの歌、ふたりのストーリーは変わりません。
ただ、ここは「誰かに繋ぐ魔法」とされています。
これは普遍性を感じさせますし、僕らというふたりの間だけではなく、すべての人に共通してこの魔法があるんだ!と感じさせてくれます。
大きな空に輝くベテルギウス
遥か遠くにあって終わることのない光は
これから長い年月に渡って多くの人が見ることができるでしょう
ベテルギウスの魔法(運命的な出会い)は誰にでも起こりうるものである
これが『ベテルギウス』のメッセージなのではないでしょうか?
🌟MV読み解き紹介
こちらの『ベテルギウス』はMVが非常に良いです!ぜひ観てほしい。
ネタバレにはなりますが、簡単に読み解き紹介させていただければと思います。
MVは冒頭の3人の出会いシーン(台詞付き)から始まります。
台詞があるのは冒頭のみですが、ドラマ仕立てのストーリーは見ているだけで台詞が聞こえてくるような胸熱くなるものになっています!
シーン① 3人の出会い
登場人物は3人います。
主人公朝倉亮(男)と友人の都築由紀(女性)とフジシロ(男)です。
※漢字のわからないところをカタカナにしています。
3人とも大学生です。
亮はフジシロ商事の跡取り息子であるフジシロを見て「最初からなんでも持っている人間はいいよな」とぼそっとつぶやいています。
シーン② 友情の芽生え
亮はレストランでアルバイトをしていますが、失敗してしまい凹みながら帰っていました。
その帰り道、流れ星の見える丘には泣きながら座り込んでいるフジシロの姿が。
最初からなんでも持っているかのように見えたフジシロですが、実は自分と同じように欲しいもの(夢)に向かって頑張っているがうまくいっていない同じ人間なのだと知ります。
※伏線:ここで星を見ているふたりの様子を都築が写真におさめています。
シーン③ 友情の育み
亮は小説家を目指しており、フジシロは声優を目指しています。
亮が書いている小説のタイトルが『ベテルギウス』ふたりは度々あってはお互いを励ましあったり、『ベテルギウス』を読んだり演じたりして友情を育んでいきます。
夢を語り合っているふたりの様子にはわくわくしますね。
きっと、一緒に作品をつくろう!おまえの小説がアニメ化したら俺が声優やるよ!
とか話していたんでしょうね~
シーン④ 衝突
声優を目指していた は、親の反対によって夢を諦めざる負えなくなってしまいました。
しかし亮にはそれが許せませんでした。
なぜ諦めてしまうのか、ふたりはぶつかり合い、喧嘩を機に疎遠になってしまいます。
シーン⑤ それぞれの未来
フジシロはなんと学校を辞めて父親の会社に就職することにしました。
就職し出社するフジシロの元へ亮からのLINEが届きます。
そこには「仕事がんばって。いつか一緒に作品を完成させよう。」というエールがありました。
そのLINEを見たフジシロは、ひさしぶりにふたりの思い出の場所である星の見える丘へ。
ふたりの友情が再開したのでした。
その前を見ると実は「この前は感情的になってごめん」など喧嘩シーンの後、ふたりの関係性を感じさせるLINEがあったりと造りが細かい!(歓喜)
シーン⑥ 写真展(エンド)
回想シーンの最後、写真展の映像になります。
その写真展に出展されているのは、亮とフジシロが並んで星の見える丘に座っている様子でした。
タイトルは「ベテルギウス」(都筑由紀)
実はサブキャラのように見える都筑由紀ですが、写真家を目指していてストーリー的に重要な役割も持っています。
そしてこれは超深読みなんですけどね!!
都筑由紀→つづきゆき
これ、つづきゆく→つづきゆく→続いていく みたいに思えませんか?
友情がこれからも続いていくよ!物語は続いていくよ!
という暗示のように思えます。
🌟友情の歌or恋愛の歌
結論から言いますと、個人の自由!!笑
怒られそうなのですが本当にどちらとも読み取れるというのがはるおの正直な見方です。
MVは友情として描かれていましたが、歌詞的には恋愛の歌と思ってもなんらおかしくありません。
(いやMVがBLだった説はなくはないですがそれならあまりに描写少ない‥ですよね?詳しい人気づいていたらコメントでこそっと「ここBLっぽい」と教えてください)
歌詞という観点から読むと、友情という意味では若干、、本当にちょっっとなのですが、違和感のあるところもあるのです。
それがこちらのフレーズです。
いかにも結婚式っぽい
僕ら 肩並べ 手取り合って 進んでく
辛い時だって 二人だって 誓っただろう
遥か遠く終わらないべテルギウス
君にも見えるだろう 祈りが
この歌詞は正直に言うと「病めるときも健やかなるときも」感が強いなと思わなくもないです。
手取り合い進む、辛いときも 二人で誓う 祈り
どうしても恋愛っぽい。
友情で手取り合うか??
(はるおは男なのですがどんなに仲のいい男友達であったとしても手を繋いで歩くなど考えられません)
助け合いの比喩だから!!と言えばそうなんですけどね。笑
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